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2009/10/31

「ダークナイト」を解釈してみた

一週間くらい前に、いまさらながらダークナイトを観たんですよ。
興味のある人は、もうとっくに観ているでしょうから、ここで何を書いても

ネタバレとはなりませんよね。

いやあ、評判通り非常に完成度が高い作品でした。

演技力に定評ある俳優が次々と登場、それぞれが熱演。
莫大な制作費で、迫力の特撮。
照明はヨーロッパ映画を彷彿とさせて、影が美しい。
考え抜かれたストーリー。
つまり、文句のつけようのない傑作!

なのだが、でも、何かひっかかるものがあるんだよなあ。
これを認めてはいけないんじゃないか、という予感めいたものがあるわけな

んだけど、それが何なのかが分からない。
分からないから気になってしょうがないんだけど、それがぱっと浮かんでこ

ないという、もやもやしたままなのでした。

何か騙されているような気がするぞ。

まず、気になったのは音楽。
これは、バットマン・シリーズ全てに共通することなんだけど、音楽が非常
に良いんですよ。
非常に良いって、それは評価する点じゃないか、と思われるかもしれません
けど、その使い方が実に巧妙、いや、巧妙すぎる。

音楽が、音楽としてあるのではなくて、効果音として、ひっきりなしに流れ
続けているんで、たいしたシーンでなくても、重厚なオーケストラがグワー
ンっと盛り上げて、観ているこちらは興奮しちゃうという仕組み。

これが、しょうもない音楽だったら、へっとバカにして終わりなんですけど、
くやしいことにどれも良くできているですよ。

これ、音楽が無かったら、映画の良さは半減ところじゃないな、というのは
バットマン・シリーズに共通していることなんで、観ている最中にも思った
わけですが、でも、「ダークナイト」には、それ以外にも何かあるような気
がしてしょうがないんです。

観終わった後、このもやもや感は何だろなあ?うーん?と、しばし考えたん
ですけど、何も思いつかなかったんで、答えのでないまま、あきらめちゃい
ました。

そして、一週間ほど経った日の朝、目を覚ますと、ぱっと突然、もやもやの
答えがひらめいたんです。
通常の意識のほうでは考えてなくても、潜在意識のほうで考え続けてたんで
すかねえ。

ダークナイトは9・11テロの映画。
9・11以降のたいていのアメリカ映画は、多かれ少なかれ、9・11の影
があるんですけど、ダークナイトは映画全体が9・11のメタファーとなっ
ているんですねえ。

バットマンはアメリカ軍。
ジョーカーはテロリスト。
トゥーフェイスは政治家(これはそのままだな)。

レイチェルとハービー・デント(トゥーフェイス)がジョーカーに捕らえられ
て、爆弾を仕掛けられるシーンでは、この二人がツインタワーの象徴。
9・11では一機目の旅客機がツインタワーに突っ込んだ時に、中にいた人
達が、家族やマスコミにかけた電話が何度もテレビニュースに流れて、多く
のアメリカ人が涙しましたけれど、ダークナイトでも同じように電話が使わ
れるので、このシーンで9・11を思い出す人は多いんじゃないかな?

そして、ツインタワーで多くの人が亡くなったように、レイチェルは死に、
生き残ったハービー・デントはPTSDに苦しめられるわけです。

ツインタワーの象徴は、この後、再び登場します。

この映画はひとつの事象を形を変えて2回くり返す、ということをちょこち
ょこするんですけど、何でかな?

2回繰り返すことで、強調しているのかな?
いやいや、2回繰り返すけれども、それぞれがちょっとずつ違っていて、そ
の違いに言いたいことがあるのかな?
それとも、ひとつの事件には2つの見方がある、と言うことかな?

で、ツインタワーの象徴の2つめは、フェリーのシーン。
2隻のフェリーに爆弾が仕掛けられて、その起爆装置がお互いのフェリーに
あり、時間内に相手のフェリーを爆破しないと、自分達のフェリーが爆破す
るというもの。

相手を爆破するのか、しないのかを決めるのは、船内での民主主義による投
票。
相手を爆破して、自分達だけが助かろう、と採決されはするものの、お互い
が起動装置を押さず、市民の勝利!映画を観ている市民も感動!
ん?ちょっと待てよ、アメリカって民主主義を強く推し進めるミスター民主
主義の国だよなあ。
民主主義を否定してオッケーなのか?

このシーンが言わんとしていることは、正義のためには国会無視で政府がい
ろいろ勝手に進めることもあるけど、そこはほれ、こういうことだから、っ
てことにならないか?

フェリーのシーンでは、バットマンが市民の携帯電話を傍受するけど、これ
は、国が個人の通信を傍受してるけど、人の命を救うために情報を集めてい
るんだから文句は言うなよ、あんまり良いことじゃないのは分かっているけ
ど、しょうがないことなんだよ、ってことを受け入れさせようとしてないか


市民からの情報といえば、バットマンの正体を証言しようとするシーンが2
つある(ここでも2つ)。

ハービー・デントが自分がバットマンだと虚偽の証言をするシーンと、市民
のひとりが事実の証言をしようとするシーン。

両者とも、バットマンが車ごと自らを犠牲にすることで、証言者の命を助け
る。

助け方をあえて同じ方法にしたのは、それだけ強いメッセージだということ
でしょう。

自己犠牲のシーンを見れば、キリスト教徒ならば、イエスの磔を連想して深
い感銘を得るはず。

ここでは、国や軍隊の情報について知っていることがあっても、むやみに口
にするな、政治家と軍隊の関係、9・11陰謀説や、戦争の是非などを口に
してはならぬ。

なぜなら、軍が自らを犠牲にして、おまえたちを守っているからだ、という
意味ではないか。

ダークナイトの解釈で、いまいち自信のないものもあって、それが、物語前
半だけに登場する中国人。

この中国人のエピソードをバッサリ切れば、上映時間がちょうどよい長さに
なるし、バットマンとジョーカーの対立構造が、より分かりやすくなると思
うんだけど、何でわざわざ描いたのかな?

これからの時代、アメリカの敵は中国だ、と言いたかったのかな?
アメリカは中国に対して莫大な貿易赤字を出しているけど、政治的には中国
に近づいてなかったっけ?
脚本の段階では、中国は敵だ、という流れだったのかな?
それとも、次回作ではこの中国人がバットマンの敵になるという前フリ?

アメリカは、ビンラディンを捕まえて裁判にかけることができなかったとい
う挫折を味わったけど、ここでその挫折を中国人に置き換えることで昇華し
ているというのは、ちょっと考えすぎかな。

んー、この解釈は保留だな。


それでは、話を一気にとばしてラストシーンについて。
トゥーフェイス(政治家)の悪事をバットマン(軍隊)のしたこととする。

政治家は善、軍は悪だと表向きはなっているが、実際は逆。
軍隊は重いものを背負っている孤独でつらい立場だが、弱音は吐かないぜ!
そのことを警察は知っているが、事実はあえて公にしないのさ。
この事実関係を知らせないのは市民のため。
だから、おまえらは知ろうとするな、知る権利を放棄しろ、
と、読み取れないかい?


僕は以前、デヴィッド・リンチ監督「インランド・エンパイア」について、
9・11の映画だということを書いたんだけど、「インランド・エンパイア
」と「ダークナイト」では、言わんとするところが、かなり違っている。

「インランド・エンパイア」は、アメリカの帝国主義によって、世界に貧困
層が発生したから、アメリカは攻撃された、という内容だったが(ワタクシ
の勝手な解釈)、「ダークナイト」では、アメリカという国はグチャグチャ
だけど、政治家、軍隊、警察、そして市民はそれぞれ皆が良かれと思ってが
んばっている。建国理念や民主主義、資本主義の原則からはずれていること
を今はしているけど、それもしかたがないんだよ、と言いたいかのようだ。

この2つの映画は、製作された背景からして正反対だ。
ハリウッドが金を出さず、フランス資本の低予算で、電気屋で売ってるヴィ
デオカメラで撮影された「インランド・エンパイア」。

ハリウッドの優秀な人材が集まり、莫大な制作費でつくられた「ダークナイ
ト」。

2つとも優れた作品だけれども、デヴィッド・リンチには、シンパシーを感
じるのに、クリストファー・ノーランは油断ならないと感じるのは、僕がア
メリカでなく、日本で観ているからで、もしもアメリカで観たならば、デヴ
ィッド・リンチに憤慨し、クリストファー・ノーランには涙と共にスタンデ
ィング・オベーションとなったか?



最後に、この文章は一気に書かずに、ちょっとずつ書いていたら1週間以上
もかかってしまい、「ダークナイト」を観終わってから2週間以上、しかも
1回しか観てないんで、かなりの思い違いがあるかもしれないけど、それは
それで別にいいかと思いつつも、次に観た時は、どんなことを考えるかな、
などと夢想しつつ、今回はこれにてペンを置くことにします。

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