「九州 1」新発売です

2009/12/12

なぜかしら笑えて泣ける動画

イレイジャー(Erasure)を覚えていますか?

80~90年代に、U.K.で、ナンバーワン・ヒットを連発していたシン
セ・デュオですよ。

ここのところ名前を聞かなくなったけど、あいかわらず活動してるんか
いな?と思われるかもしれませんね。

たしかにナンバーワン・ヒットとはいきませんけど、小ヒットくらいは出し
ていて、ライヴのほうもちょこちょこやってたりするんですよ。

しかも、全公演ソールド・アウトだったりします。

イレイジャーと言えば、ヴィンス・クラークはモノフォニック・アナログ・シン
セ使いの達人で、そのアレンジは精妙でいて、メロディーはポップで
いて高い完成度を誇り、アンディ・ベルの歌詞はポジティブで愛にあ
ふれ、その歌声の響きの豊かなことよ。

音のほうの美的センスは実に完璧。

が、ビジュアル面では、かなり問題アリ。

やんわり言うとヴィザール。
ストレートに言うと悪趣味。

もう一方のMUTE RECORDSの雄、DEPECHE MODEでは、
アントン・コービンが、メンバーの写真撮影、ジャケット・デザイン、プロ
モ・ヴィデオ、ステージ・セットと、ヴィジュアル面を一手に引き受け、
高いクオリティなのに対し、イレイジャーのヴィジュアル面はクオリティ
低すぎ。

アンディは男前だけど、服のセンスがひどい。
ミュージック・ヴィデオはカラオケで流れそうなものばかり。
ジャケット・デザインはディスカウント・ショップで並んでるバッタモンと
間違えそう。

以前、ゲイの人のblogの引用の引用を読んでいたら、(つまり、ソ
ースが明らかでない情報)
ゲイの人は美術センスに優れているっていう印象があるけど、そんな
ことは全然なくて、ゲイにもダサダサの人はいるし、そこのところは一
般の人と同じ割合、ってのがあって、そんなものかいな、と思ってたん
だけど、イレイジャーを見ていると、たしかにそうかも、と思えてくるの
でした。

というわけで、僕の中での、インターネット時代になってからのイレイ
ジャーの楽しみ方とは、お笑いビデオとしての位置づけだったわけで
す。

それで、いつものように、お笑いとして、イレイジャーのミュージック
・ヴィデオをYoutubeで観てたんですけど、ふと、ライヴはどんな感じな
のかいな?と思いまして、検索してみたら出てきたのがlive at the
royal albert hallの映像。
2007年のライヴ。

ここでのステージセットは、まだいいとして、問題なのがステージ上の
ディスプレイ6台。ここに写っている映像がマイクロソフトが作ったのか?
ってくらいセンスのかけらもない大事故状態。そして、衣装の趣味が
「ダウンタウンのガキの使い」での板尾とその嫁かっ!というくらいヤバ
イ。

そして、イレイジャーはシンセ打ち込みなんで、99%自動演奏。
つまり、カラオケみたいなもん。

ということは、ダサダサの映像をバックに、ダサイ衣装を着た、ちょっと
太めのオカマのオッサンが、オバハンのコーラス3人を従えてカラオケ
で歌っているという、地獄の入り口で見る悪夢のような世界。

当然、笑いながら見てたんだけど、曲が進むにつれ、あろうことか、
笑いから感動へと変わっていくのですよ!
いつしか、オカマのオッサンは聖者に、オバハンのコーラス3人は天使
として輝いているのでありました。

アンディは体重が増えた分、声に厚みがでたのではないかい?いや
いやそれよりも、この音楽に対する真摯な態度と、魂を込めた歌い
方、これは70年代後半に絶えてしまったソウルミュージックそのもの
ではないか!

ネットで調べてみると、アンディはHIVウィルスに感染しているとか・・・。

すべての人にとって人生は限りあるものとはいえ、それを意識せずに
日々をやり過ごしているわけですけど、彼はこれが最後のツアーにな
るかもしれないと思いながら歌っているのでありましょうか。

とういうわけで感動した勢いで、amazon経由でこのDVDを買って
しまいました。
Live at the Royal Albert Hall
お値段たったの¥1,197+送料\340。

でも、ネットで一通り見た後だから、とりたてて感動することもなく、
単なる確認作業にしかならなかったけどね。
と、言いつつも、何度も見てしまうのでありました。

2007年のライヴがこれだけ良いとなると、他の年も良いかも、と時
代をさかのぼりつつ、ネットで観てみたんですけど、さかのぼればさか
のぼるほどヤバイな、こりゃ。

何がヤバイって、アンディの露出度が増していくのですよ。
人気の絶頂期、92年のTank Swan & Balloon Liveはソドム
の最後の夜といった感で、神の怒りに触れて業火に包まれそうな内
容。

若き日のアンディ美少年がプロモヴィデオにて、白いTシャツにジーン
ズで歌うのを見て、ライヴに行った乙女がいたとしたら、その美少年
が白鳥に乗り、乳首まるだしのラメラメ衣装で登場し、オネエ言葉
でMCをした後、衣装チェンジでオケツまるだしになり、ぷるぷる震わ
せるのを見た日には気絶してしまったのではないか、とあらぬ心配を
してしまいますよ。

まあ、そんなこんなで、僕の中でイレイジャー・ブームが久方振りにや
ってきたので、mixiのイレイジャー・コミュにでも入ろうかと覗いてみる
と、住人が少ないこと少ないこと。

他国にくらべて日本では人気が無いことで知られるデペッシュモード
でさえ、2600人ほどいるというのに、イレイジャーは、たった320人し
かいない。

このテのコミュでは、「どこそこへ行きたいんですけど、治安のほうはど
うでしょう?女ひとりで行って大丈夫でしょうか?」といった質問をよく
見かけるけど、これがイレイジャー・コミュとなると、「今度、イレイジャ
ーのライヴに行こうと思ってるんですけど、男ひとりで行って大丈夫で
しょうか」となっているのであった。

(ちなみに、この質問を今、確認してみたら、どこにあるか分からなか
ったんで、もしかしたら2ちゃんで読んだのかもしれん。ソースなしです
まん)

まあ、なんだかんだ長々と書いてしまいましたけど、ようは、イレイジ
ャーの映像はダサイけど、おもろいよ、ということで、あなたも気分が
落ち込んでるときには、erasureで動画検索してみてはいかがかし
ら。

2009/10/31

「ダークナイト」を解釈してみた

一週間くらい前に、いまさらながらダークナイトを観たんですよ。
興味のある人は、もうとっくに観ているでしょうから、ここで何を書いても

ネタバレとはなりませんよね。

いやあ、評判通り非常に完成度が高い作品でした。

演技力に定評ある俳優が次々と登場、それぞれが熱演。
莫大な制作費で、迫力の特撮。
照明はヨーロッパ映画を彷彿とさせて、影が美しい。
考え抜かれたストーリー。
つまり、文句のつけようのない傑作!

なのだが、でも、何かひっかかるものがあるんだよなあ。
これを認めてはいけないんじゃないか、という予感めいたものがあるわけな

んだけど、それが何なのかが分からない。
分からないから気になってしょうがないんだけど、それがぱっと浮かんでこ

ないという、もやもやしたままなのでした。

何か騙されているような気がするぞ。

まず、気になったのは音楽。
これは、バットマン・シリーズ全てに共通することなんだけど、音楽が非常
に良いんですよ。
非常に良いって、それは評価する点じゃないか、と思われるかもしれません
けど、その使い方が実に巧妙、いや、巧妙すぎる。

音楽が、音楽としてあるのではなくて、効果音として、ひっきりなしに流れ
続けているんで、たいしたシーンでなくても、重厚なオーケストラがグワー
ンっと盛り上げて、観ているこちらは興奮しちゃうという仕組み。

これが、しょうもない音楽だったら、へっとバカにして終わりなんですけど、
くやしいことにどれも良くできているですよ。

これ、音楽が無かったら、映画の良さは半減ところじゃないな、というのは
バットマン・シリーズに共通していることなんで、観ている最中にも思った
わけですが、でも、「ダークナイト」には、それ以外にも何かあるような気
がしてしょうがないんです。

観終わった後、このもやもや感は何だろなあ?うーん?と、しばし考えたん
ですけど、何も思いつかなかったんで、答えのでないまま、あきらめちゃい
ました。

そして、一週間ほど経った日の朝、目を覚ますと、ぱっと突然、もやもやの
答えがひらめいたんです。
通常の意識のほうでは考えてなくても、潜在意識のほうで考え続けてたんで
すかねえ。

ダークナイトは9・11テロの映画。
9・11以降のたいていのアメリカ映画は、多かれ少なかれ、9・11の影
があるんですけど、ダークナイトは映画全体が9・11のメタファーとなっ
ているんですねえ。

バットマンはアメリカ軍。
ジョーカーはテロリスト。
トゥーフェイスは政治家(これはそのままだな)。

レイチェルとハービー・デント(トゥーフェイス)がジョーカーに捕らえられ
て、爆弾を仕掛けられるシーンでは、この二人がツインタワーの象徴。
9・11では一機目の旅客機がツインタワーに突っ込んだ時に、中にいた人
達が、家族やマスコミにかけた電話が何度もテレビニュースに流れて、多く
のアメリカ人が涙しましたけれど、ダークナイトでも同じように電話が使わ
れるので、このシーンで9・11を思い出す人は多いんじゃないかな?

そして、ツインタワーで多くの人が亡くなったように、レイチェルは死に、
生き残ったハービー・デントはPTSDに苦しめられるわけです。

ツインタワーの象徴は、この後、再び登場します。

この映画はひとつの事象を形を変えて2回くり返す、ということをちょこち
ょこするんですけど、何でかな?

2回繰り返すことで、強調しているのかな?
いやいや、2回繰り返すけれども、それぞれがちょっとずつ違っていて、そ
の違いに言いたいことがあるのかな?
それとも、ひとつの事件には2つの見方がある、と言うことかな?

で、ツインタワーの象徴の2つめは、フェリーのシーン。
2隻のフェリーに爆弾が仕掛けられて、その起爆装置がお互いのフェリーに
あり、時間内に相手のフェリーを爆破しないと、自分達のフェリーが爆破す
るというもの。

相手を爆破するのか、しないのかを決めるのは、船内での民主主義による投
票。
相手を爆破して、自分達だけが助かろう、と採決されはするものの、お互い
が起動装置を押さず、市民の勝利!映画を観ている市民も感動!
ん?ちょっと待てよ、アメリカって民主主義を強く推し進めるミスター民主
主義の国だよなあ。
民主主義を否定してオッケーなのか?

このシーンが言わんとしていることは、正義のためには国会無視で政府がい
ろいろ勝手に進めることもあるけど、そこはほれ、こういうことだから、っ
てことにならないか?

フェリーのシーンでは、バットマンが市民の携帯電話を傍受するけど、これ
は、国が個人の通信を傍受してるけど、人の命を救うために情報を集めてい
るんだから文句は言うなよ、あんまり良いことじゃないのは分かっているけ
ど、しょうがないことなんだよ、ってことを受け入れさせようとしてないか


市民からの情報といえば、バットマンの正体を証言しようとするシーンが2
つある(ここでも2つ)。

ハービー・デントが自分がバットマンだと虚偽の証言をするシーンと、市民
のひとりが事実の証言をしようとするシーン。

両者とも、バットマンが車ごと自らを犠牲にすることで、証言者の命を助け
る。

助け方をあえて同じ方法にしたのは、それだけ強いメッセージだということ
でしょう。

自己犠牲のシーンを見れば、キリスト教徒ならば、イエスの磔を連想して深
い感銘を得るはず。

ここでは、国や軍隊の情報について知っていることがあっても、むやみに口
にするな、政治家と軍隊の関係、9・11陰謀説や、戦争の是非などを口に
してはならぬ。

なぜなら、軍が自らを犠牲にして、おまえたちを守っているからだ、という
意味ではないか。

ダークナイトの解釈で、いまいち自信のないものもあって、それが、物語前
半だけに登場する中国人。

この中国人のエピソードをバッサリ切れば、上映時間がちょうどよい長さに
なるし、バットマンとジョーカーの対立構造が、より分かりやすくなると思
うんだけど、何でわざわざ描いたのかな?

これからの時代、アメリカの敵は中国だ、と言いたかったのかな?
アメリカは中国に対して莫大な貿易赤字を出しているけど、政治的には中国
に近づいてなかったっけ?
脚本の段階では、中国は敵だ、という流れだったのかな?
それとも、次回作ではこの中国人がバットマンの敵になるという前フリ?

アメリカは、ビンラディンを捕まえて裁判にかけることができなかったとい
う挫折を味わったけど、ここでその挫折を中国人に置き換えることで昇華し
ているというのは、ちょっと考えすぎかな。

んー、この解釈は保留だな。


それでは、話を一気にとばしてラストシーンについて。
トゥーフェイス(政治家)の悪事をバットマン(軍隊)のしたこととする。

政治家は善、軍は悪だと表向きはなっているが、実際は逆。
軍隊は重いものを背負っている孤独でつらい立場だが、弱音は吐かないぜ!
そのことを警察は知っているが、事実はあえて公にしないのさ。
この事実関係を知らせないのは市民のため。
だから、おまえらは知ろうとするな、知る権利を放棄しろ、
と、読み取れないかい?


僕は以前、デヴィッド・リンチ監督「インランド・エンパイア」について、
9・11の映画だということを書いたんだけど、「インランド・エンパイア
」と「ダークナイト」では、言わんとするところが、かなり違っている。

「インランド・エンパイア」は、アメリカの帝国主義によって、世界に貧困
層が発生したから、アメリカは攻撃された、という内容だったが(ワタクシ
の勝手な解釈)、「ダークナイト」では、アメリカという国はグチャグチャ
だけど、政治家、軍隊、警察、そして市民はそれぞれ皆が良かれと思ってが
んばっている。建国理念や民主主義、資本主義の原則からはずれていること
を今はしているけど、それもしかたがないんだよ、と言いたいかのようだ。

この2つの映画は、製作された背景からして正反対だ。
ハリウッドが金を出さず、フランス資本の低予算で、電気屋で売ってるヴィ
デオカメラで撮影された「インランド・エンパイア」。

ハリウッドの優秀な人材が集まり、莫大な制作費でつくられた「ダークナイ
ト」。

2つとも優れた作品だけれども、デヴィッド・リンチには、シンパシーを感
じるのに、クリストファー・ノーランは油断ならないと感じるのは、僕がア
メリカでなく、日本で観ているからで、もしもアメリカで観たならば、デヴ
ィッド・リンチに憤慨し、クリストファー・ノーランには涙と共にスタンデ
ィング・オベーションとなったか?



最後に、この文章は一気に書かずに、ちょっとずつ書いていたら1週間以上
もかかってしまい、「ダークナイト」を観終わってから2週間以上、しかも
1回しか観てないんで、かなりの思い違いがあるかもしれないけど、それは
それで別にいいかと思いつつも、次に観た時は、どんなことを考えるかな、
などと夢想しつつ、今回はこれにてペンを置くことにします。

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